学校便りNo.4 (H23.7.21発行)

2011年07月21日(木)

学校便りNo.4 (H23.7.21発行)

一学期終業式の話から



校長 板垣 清

 各学年の代表の皆さんいい話をありがとうございました。

1週間前の新聞に載った「少年少女の声」、そして一昨日の弁論に引き続き、学期の締めくくりに、前に進もうとする意志や希望に溢れた意見を聴くことができて頼もしく思いました。

「本当に価値あること」「何が人の幸せなのか」とか「今できることを精一杯」などの言葉から、体験や見聞きしたことをもとにして、自分のこととしてものごとを見つめ、より大切にしたい本質的な価値について考えを深めていること、そして、高い志がにじみ出ていることに感動しました。

このごろ新聞やテレビから流れるニュースは悲観的な内容が多く、どうにもやりきれないと思っていた矢先だけに、実に力強く、逆に励まされているような思いがしています。



 一昔前のアメリカに伝説の大統領がいます。

J.F.ケネディと言う人です。

任期途中で暗殺され、その瞬間がたまたまテレビ中継されていたこともあって、一層強烈に人々の記憶に残った大統領です。

そのケネディの就任演説の中に、「私たちは、国に何かをしてもらうことを求めるということよりも、国のために何をすることができるかということを考えるべきではないか」という意味のことを国民に訴えるくだりがあります。

ケネディは一国の大統領だから、「国のため」という表現をしましたが、「国」を「人」と読み替えれば、私たちの日常生活にも充分通じる言葉だと思います。



 ともすれば、私たちは他者からしてもらうことになれてしまって、それが当たり前と思いこみ、いつの間にかしてくれないことに腹を立てたり、また、せっかくの価値ある活動なのに、やらされているというつまらない感情しか残らなかったりすることがあります。

気づかないうちに自己中心的でひ弱な人間になっていることに気付くことがあります。

1学期は4月以来、毎日の授業をはじめ、駅伝大会、生徒総会、地区中総体、などの行事も多々あり、忙しい日々でした。

それらの活動を、他人事としてではなく、どれだけ自分事として参加することができたかということが、充実度をはかるものさしの一つです。

一年生は初めてのことばかりだから難しいと思いますが、学年があがるごとに、少しずつ充実度は高まっていることだろうと思います。

何事であれ、してもらって当たり前とかやらされていると思っているうちは楽しくないし、大切なことに気づく機会も逃し、あげく、どうにもならないことを他人の所為にして愚痴るという情けないことになったりもします。



 明日からの夏休み。

お盆の墓参りなどの年中行事はじめ家族や地域での行事もあるでしょうし、県大会、東北大会など忙しいスケジュールに追われる人もいるでしょうが、普段よりは時間にも、心にもゆとりがあると思います。

普段当たり前のように誰かにしてもらっていることで、自分ができることはないか考えみましょう。

そして、できることを進んでやってみましょう。

それが、夏休みを楽しく活き活きと過ごす早道かもしれないと思います。

先の話ですが、すでに準備に入った2学期の活力祭についても、自分ができることをしっかりやろうとする姿勢で臨めば、めざす姿に近づけるものと思います。



 最後に、長い休みはどうしても浮かれた気分になりやすく、事故も起きやすい。

危険を察知する想像力、回避する適応力を十分働かせて、事故のない夏休みにしよう。

それがいい夏休みの最低条件です。




弁論大会 学校代表に 


 7月19日(火)に行われた校内弁論大会において、3年のSさん「伝えること」と2年のJ君「本当の幸せ」が学校代表に選ばれました。二人には学校代表として、地区大会でまた、素晴らしい弁論を発表してもらいたいと思います。


校長先生の講評より

 六人の弁士のみなさん。

ありがとうございました。

50分が短く感じられました。

みなさんの主張には共感できるところがたくさんありました。

東日本大震災と停電の経験などをきっかけに、それぞれが自分の心で感じたこと、そして考えたことがよく伝わってきました。

「本当に価値あること」「幸福とは何か」「今自分ができることを」などなど、実に深く、そして真っ直ぐに物事を見つめ、考えていることに驚いています。

そして、改めて言葉の力の大きさを感じました。

Sさんの演題も言葉についての内容でしたが、言葉には、伝える働き、理解し合う働き、さらには、人の心を動かす力もあるということです。



 はるか昔、中東のユーフラテス川のほとりに、世界最古の文明が興りました。

すでに歴史で学習したと思いますが、この地域は、歴史が始まった以来、民族の興亡が繰り返されてきた地域です。

次々に異民族が侵入し、戦争が絶えませんでした。

そこで、古代の人々は、どうしてこんなに戦争が多いのだろうと考えたわけです。

考えた結論の一つが、民族による言葉の違いです。

言葉が通じないと互いに分かり合えない、だから対立が起こり戦争になるというのです。

同じ人間なのに、なぜ言葉が違うのか、古代の人はその理由を想像して、次のような物語を創りました。



 地上のすべてを支配する強力な王様がいました。

この王様はすべてを手に入れてなお満足せず、天上にいる神になろうと考えました。

王は、多くの国民を駆り立て、土を運ばせ、煉瓦を焼き、高い塔を築かせました。

塔はどんどん高くなり、今にも天に届きそうになりました。

その時、その行いを見ていた神は、王の傲慢な考えに怒り、自分一人の欲のために人や物を無駄に使うのはよくない考え、雷の一撃で塔を破壊してしまったのです。



 そして、人間が二度とこのようなことを企てないようにするために、神は人々の言葉をバラバラにしたのです。

言葉が通じなくなり、人々は互いを理解することができなくなりました。

あちこちで争いが起こり、戦争が繰り返されるようになったということです。



この神話は、科学的な根拠がある話ではありませんが、人は一人では小さく弱い生き物だけど、結束した時には思いもよらない大きな力を発揮できるということ、また、言葉には人と人をつなぐ大きな働きがあるとことを語っています。

ただし、言葉には逆の働きもあることを私たちは忘れてはならないと思います。

時に言葉が人を引き裂くこともあります。

いやな言葉は、人をいやな気分にさせますし、使っている人も自分で気づかないうちに心まで卑しくなってしまいそうです。

また、話す側と聴く側が、それぞれ勝手な解釈で言葉を使ったり、受け止めたりすれば、理解どころか誤解のもとになります。

言葉の意味を双方が同じように解釈しているという事が理解し合う条件だとすれば、日々の学習がどれだけ大切かと言うこともわかるのではないでしょうか。



 弁士のみなさん、最後まで真剣に聴いてくれたみなさん、ありがとうございました。





よいよ明日から夏休みです!事故のない楽しい夏休みを過ごしてください。また、二学期に元気な笑顔で会いましょう!
県大会に出場の皆さん、天童一中旋風を巻き起こしてください!

更新日:2011年07月21日 18:38


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